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がなければ、書けない。

誰かが結んだ物語を、改めて結びなおす時、あなたはどんな結び方をしますか?

 

それは形として、文章になることもあれば、言葉になることもあって。

音を楽しむこともあれば、声がつと胸を打つときもありますよね。

情景が思い浮かんだなら、風景や登場人物たちの表情を描くこともしばしば。

 

私たちの生きる世界では、一つの作品に多くの人が魅了されて”その後”や”もしも”といった、空想を嗜む

文化があります。

それを頭の中だけで完結させてしまうのは勿体無い、この空想を他の人にも見てもらいたい、共有したい

という思いから、昨今多くの創作クラスターが生まれていくのです。

 

そもそも、文章や音楽、声、イラスト、それらに限らずアクセサリーであったり裁縫手芸、料理……。

創作というコロニーに垣根はありません。その世界に魅了され、虜になった人たちは一石を投じるのです。

”私”という形を投影して、その世界に飛び込む。それがどんなにワクワクして、心が踊り魂を揺さぶられるか貴方もご存知なのではないでしょうか。

 

想像してください。

貴方が好きなことを声に出したとき、同じようにその世界に魅了された人たちが集まってきます。

私と貴方が得手としていることが違うように、そこに集まった人たちは皆それぞれに得意としているものが

あります。それを掛け合わせたらと思うと……心臓の鼓動が高鳴りませんか?

 

この創作という世界では、一人ひとりが主役です。

文章が書ける人がいて、絵が描ける人がいたら……。彼が書いた文章に、彩を与えてくれるでしょう。

その二人に、音楽を作れる人が加わったら……。物語がメロディと共に鮮やかな表情を見せてくれます。

時に絵を描いた人は、我が子はどんな声をしているだろうと想像したとき、私の声を使って欲しいと

手を握ってくれる人が現れたら、そのイラストに声という魂が宿ることになります。

また、音楽を作れる人は自身の曲を歌ってくれる人はいないかと探しているのではないでしょうか。

歌い手はアカペラだけでなくメロディに乗った時、声は色艶を変えてくれます。

音に声を乗せるとになり、それが音を楽しむことに繋がったのです。

 

私たちの色々な”好き”が集まったとき、また”新しいモノ”が生まれてくるのです。

 

 

例えばもし、物語の結末で生死を分かつ人がいたとしましょう。

どうしたら彼を救えたのか、あの時の彼女の選択は間違っていたのか、あの日あの場所に行くのが

もう少し遅かったなら……。それは本編では描かれなかった空想かもしれません。

けど、貴方が望めば新しい道を作ることもできるのです。作中の筋書きを夢想することは、許されて

いいはず。愛を持って妄想し、どうしたら大団円の結末に辿り着けるのか……それはまるで、将棋の詰めを

やっているように、論理的に導いたことは結果として描いても良いではないですか。

 

裏を返せば、その世界を作った先駆者は夢想する余地を残しているといっても過言ではありません。

 

妄想、おおいに結構じゃないですか。それは作品を愛している裏返しなのですから。

この世界は、愛が溢れている。

素敵な作品を披露した作者に敬意を表して、私たちも愛を持って臨まなければならないのです。

 

だから私は、作者が残した作品を創作することは、”がなければ書けない”と思っているのです。

 

 

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